「躾」や「教育」の入り口とは

 

子どもが生まれ、日々成長・発達していく様子をみていると、嬉しさがこみあげてきます。しかし、それと同時に「これは“普通”からしてどうなのだろうか」、「基準どおりなのだろうか」と不安に思うことも、親としての一般的な心情です。

「赤ちゃん」だったわが子が立って歩き、走るようになると、これまでの苦労が報われるような気持ちになります。しかしながら、子どもが集団に入っていくころになると、喜びだけではなく、不安を感じたり心配になったりすることはあり得ることです。

 

子どもがよりよく発達するためには、いくつかの「大切なこと」があると思います。今回は、その中から一つだけご提案したいと思います。

 

ある日、ミニカーが大好きなAくんが、夢中で遊んでいました。

お母さんは「(並べるのではなく)こうやって遊ぶのよ」とミニカーを手に持って走らせて、遊び方を教えてあげました。すると、Aくんはとたんに興味を失ってしまいます。

いくら誘っても、Aくんはその日、あんなに大好きだったミニカーで遊ぼうとはしませんでした。

 

 

なぜでしょうか。

お母さんは、ただ「正しい遊び方」を教えてあげようとしただけなのです。

Aくんの側からしたら、もしかしたら、想像を膨らましたり、頭の中で物語をつくったりしながら楽しく遊んでいたのに、それを否定されたように感じてしまったのかもしれません。

 

 

実は、子どもの世界に“正しい遊び”なんてありません。

大人の側に求められるのは、まずはその時々の子どもの在りようを受け入れ、子どもの内面を想像してみることではないでしょうか。大人の側が想像力をたくましくして、子どもの世界に入れてもらうつもりでかかわっていくことから、「躾」や「教育」が始められると私は考えています。

 

お母さんからみたら意味のないようなことでも、Aくんのそばにいて、その世界を想像しながら、例えば「これも要る?」と言って青いミニカーを手渡していたら……。それをきっかけにして遊びを発展させたり、やりとりの面白さに気付いたり、Aくんに誰かと一緒に遊ぶ楽しさを教えられるチャンスだったかもしれません。

 

……でも、だいじょうぶ。子どもにはレジリエンス*があります。きっと許容してくれます。

*レジリエンス:「回復力」「復元力」「耐久力」「再起力」「弾力」などと訳される言葉で、「困難をしなやかに乗り越え回復する力(精神的回復力)」

 

 

大人は、大切なことに気付いたその瞬間から、「切り替え」をしましょう。

唯一無二の存在である眼前のお子さんの世界に近づき、触れ、知り、入れてもらいませんか。必ず、大人自身の世界も広がる貴重な機会になると私は思います。

 

 

 

※本日のテーマと関連する授業は、「特別支援教育Ⅰ」です。

プロフィール

氏名
桐明 里美
所属学科
保育科
職名
講師
学位
修士(学校教育)
専門分野
特別支援教育